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ストーリー

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​ストーリー

胸に秘めるは「明るい心」「歳はくっても未来はある」——80代の特撮造形師に8年間密着!

昭和31年、映画「ゴジラ」で特撮の礎を築いた円谷英二のいる東宝映画特殊美術部に入社した村瀬継蔵は、その独創的な手法で、怪獣造形の世界で一目置かれる存在になっていた。
やがて昭和から平成、令和と年号は代わり特撮ブームは終焉、数少ない特撮作品もCGがメインの時代となり、村瀬たちが築いてきた「アナログ怪獣造形」の需要は大幅に減少していく。
過去に手がけた作品の裏話をマニアたちに忌憚なく話す日々に村瀬は喜びと同時に苛立ちも抱いていた。

 

「俺はまだ引退していない、現役だ」


怪獣造形、アナログ特撮映画への熱量が高いまま迎えた82歳。約半世紀前に自身で書いた「神筆」という怪獣物語を、未経験の監督として映画化することでアナログ特撮の技術を後進に伝えたい――そんな使命に駆られ、村瀬は一人動き始める。その道のりは自信を持ったり無くしたりの連続で……。
本作は、思春期の少年のように挫折と苦悩を抱えて、信じた道を走り続けた男の「80歳代で迎えた青春ドキュメンタリー」である。

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​『怪獣と老人』の密着はこうして始まった

​80代で夢を見て、挫折し、それでも光の方向へ歩み続けた「青春の記録」

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​造形師  村瀬継蔵

1935年生まれ、北海道出身。怪獣などの着ぐるみを手がける美術造形家。美術造形会社「有限会社ツエニー」会長。

1958年に東宝の映画作品に参加。同年の『大怪獣バラン』から、1961年の『モスラ』、1962年の『キングコング対ゴジラ』、1963年の『マタンゴ』などの造形助手として活躍。1965年には、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』の着ぐるみ造形を担当した。後に東宝から独立してエキスプロダクションの設立に参加し、テレビ特撮の『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などを担当した後、1967年には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』、1969年には台湾映画『乾坤三決斗』の造形も手がけている。1970年に開催された日本万国博覧会では、テーマ館「太陽の塔」の内部に建つ「生命の樹」に取りつけられた恐竜をいくつも手がけている。1972年にはエキスプロから独立し、造形美術会社「ツエニー」を設立。折からの変身怪獣ブームに伴い、『超人バロム・1』、『ウルトラマンA』、『人造人間キカイダー』、『クレクレタコラ』などを手がけることになり、香港のショウブラザーズに招かれて1976年公開の『蛇王子』の造形を担当。1977年に香港で公開された『北京原人の逆襲』では、造形だけでなく特撮スタッフのコーディネートや火だるまとなった北京原人が高層ビルのセットから落下する場面のスタントも担当している。その後は『帝都大戦』(1988年)や『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)などの造形や美術を手がけた。その後は映画、テレビ以外にも、CM映像や劇団四季の舞台造形・美術など、幅広く活躍。令和3年度「文化庁映画賞映画功労部門」受賞。

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監督  中野伸郎

1970年、広島県出身。思春期を下関・博多で過ごし、大阪芸術大学中退後に上京。木こりや警備員、エロ本・音楽系雑誌のライター見習いを経てテレビ業界へ。

地獄のAD生活を経て2000年から現在までテレビディレクターとして活動。バラエティ番組を主戦場としており、ドキュメンタリー番組はMBS『情熱大陸』で 「斎藤工」など、これまで5本ディレクターとして制作。本作は初の劇場公開作品となる。
映画は70〜80年代のATG(アートシアターギルド)作品が好きで話題作は敬遠するアマノジャク。

普段は高円寺のバーで政治・芸能界・闇社会・仲の悪い友人のゴシップ話ばかりして嫌われています。

2025年/日本/カラー/82分  © 2025「怪獣と老人」

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